東日本大震災から10年(現地を見て感じたこと)

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東日本大震災から10年が経過しました。あっという間の10年と感じます。私は、石巻や南三陸町、釜石、大槌、陸前高田など、幾度に渡って、ボランティアに行きました。その時に見たこと、感じたことをお伝えするのが、私の役割であると思いますので、お話させていただきます。

心を開いていただいた

震災後、数か月の間に3回、現地を訪れた際は、瓦礫除去が主な作業でした。作業をしていると、依頼された現地の人はボランティアに大変感謝してくださいます。その表情は、心の底から本当に感謝されていると感じます。そして、心を開いて下さったからと思うのですが、当時のことをお話してくださいます。

『津波が押し寄せて、作業場の天井十数メートルほぼ一杯にまで浸水したために逃げることができず、口元まで水が来ていた。これ以上水が来たら溺れ死ぬところだったが、浸水はそこまでだった。』(石巻の工場経営者のかた)

『車で津波の避難場所とされる少し高台の広場へ向かったが、渋滞で進めなかったため、仕方なく更に高台へ車を走らせて、結果、難を逃れた。ちなみに、行こうとしていた避難場所は津波にのまれた。』(大槌町のかた)

当時、話を聞いていて、「この人は、紙一重で生き残った。少しでもズレていれば津波にのまれていた。」と、津波の恐ろしさを実感しました。

被災していない人に対してだからこそ話せる

釜石の漁村へ赴いたときに、ある高齢のかたが「周りの人と被害のことをあまり話をしない。例えば、私が兄弟を亡くしたと言えば、相手は、まだいいじゃない。ウチは家族全員ダメよ。のように、どっちが大変かについて争いになってしまう。だから、あなたのような被災されていない別の地域から来たボランティアの人には、自分がツラかったことを変な気遣いすることなく話せる。」とお話してくださいました。このような思いについては、お話を聞くまで、想像していなかったことです。実際に体験されたかたから話を聞かないと分からないことがあると痛感しました。

「復興」という言葉。でも実際は。。

甚大な被害を受けた沿岸部の各地域を実際に見ると、「復興」という表現が難しいと感じます。瓦礫を撤去して、更地にしただけという地域がとても多いからです。そこには、人々が住んでいてコミュニティが存在していたのですが、元居た場所に戻ることはできず、それぞれが別の場所へ移動してしまったため、人間関係が解消されてしまったのです。被害に遭われたかたがどのような想いをされているのかを考え、「復興」という言葉を、現地の人ではない周りの人間が安易に使うことがどういうことかを考えるべきと思います。

だから現地に行って見てほしい

「10年も経ったし、だいぶ復興したんでしょ?」関東に住んでいると、このような感覚の人が多いように感じます。その考えが正しいか否かは、実際に現地を見れば分かります。そして、見ないと分からないと思います。

私が思うのは、「とにかく現地に行って見てほしい」です。だいぶ年月が経過したにもかかわらず、自分が想像する姿とは異なることを痛感するからです。

旅行に行くでも構わない

確かに、ボランティアで現地に赴くほうが、現地の人と関わることができて、より現地の様子分かると思うのですが、ボランティアは敷居が高いと思う人もいるかもしれません。そのようなかたは、旅行でも良いと思います。東北沿岸地域を見て、近くの宿に泊まる。その土地の料理と酒を頂いて、お土産を買って帰る。お土産を家族や友人に渡して、見たこと、感じたことを話す。

できれば、宿の人や、観光案内所の人などに、当時の様子の話を聞くことができれば良いです。その際には、「どうだったんですか?」と無神経に聞くのではなく、例えば、「東北の震災のことがあって、恥ずかしながら、だいぶ年月が経って今回初めて東北に来て沿岸部を見てきました。」のように伝えてみましょう。そうすれば震災のことをお話し頂けるかもしれません。

コロナが収束したら

東北へ行ってくださいとお伝えしたものの、現在は、新型コロナが流行しているので、控えるのが賢明と思います。私も、ここ数年現地へ行くことができていません。でも、コロナが収束したら、またボランティアに行きたいと思っています。作業内容は、被害地域の産業復帰の手伝いなどがあります。私が東北の震災について、お伝えできることは他にもたくさんありますので、また別の機会にお話させていただきます。

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