私の友人で、身長が低いのですが、大きく見える人がいました。人間性によって、人は大きく見えるものなのだと実感させられました。みなさんの周りではそのような人はいますか?今回は、身長が低くても人間性で大きく見えるをテーマにお話させていただきます。
身長が低いことを忘れさせられる
身長が低くても人間性で大きく見えるについて、私が感じさせられたのは、大学のバスケットボール部の同学年のキャプテンです。身長は162~164cmくらいだったと思います。バスケットをするにはハンデとも言える身長です。しかし、ドリブルが上手くて、足も速く、スタミナもあり、パスセンスもあり、状況判断力もあり、キャプテンシーもあり、身長が低いことを補うかの如く素晴らしい能力があり、努力家でした。私は彼よりも身長は高いですが、全く叶いませんでした。
大きく見えるというのは、実は、バスケットのことではなくて、彼の人間性です。まじめで、正しくて、自分に厳しく、努力家で、大らかで、ノリがよく、周りへの思いやりがあり、優しかった。様々なことが相まってだと思うのですが、とても魅力的な人間でした。
私は、そんな彼が好きでした。長く生きてきて多くの素晴らしい人間と接してきましたが、同性を好きと思うのは彼だけだったように思います。ここで補足しておきたいのですが、私は女性が好きな人間です。今回のキャプテンへの感情は不思議なものであり、また、好きと言う表現と違うのかもしれません。他に言葉が見つかりません。
この章のまとめとしては、身長が低くても、大らかで、努力して結果を出し、周りに優しい。。このような人は大きく見えるということです。
49歳の若さで急死
数日前、バスケ部のマネージャーから連絡があり、キャプテンが亡くなったとのこと。。急激に体調が悪くなり、病院に運ばれたのち間もなく亡くなってしまったというのです。あまりにも突然すぎて、意味が分かりませんでした。年賀状もいつものようにいつもの味のある文字で送られてきていましたし。。通夜にも行ってきました。遺体に対面しましたが、それでも、本当に亡くなったのだろうかと事態を受け入れられずにいます。バスケ部の幾人かと久しぶりに再会しましたが、みな悲しんでいて。。コロナ渦のため、みなと語る場も無く、やりきれない気持ちです。最後に彼と会ったのは、4年くらい前に新宿の居酒屋です。そのときも彼は優しかった。。
ずっと「昔の友は長い期間会わなくても大丈夫」と思っていましたが、大切な友人が亡くなって初めて、長い期間会わないことを後悔しています。コロナが収束したら、大事な友人は、自分から声をかけて会いに行きます。そして、長い年月放置しないようにしたいと思います。
今回のタイトルは、身長と人間の大きさについてですが、後半、私の個人的な内容が混ざって申し訳ありません。大切な友人が亡くなったということでご容赦いただければ幸いです。
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